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語学力があってこそ、広がる世界がここにある。パリを拠点にグローバルに働く今


グローバル人材がいかにして育つのか、世界で活躍中の元キャタル教師の3名にインタビューを実施し、どのような幼少期を過ごしたか、グローバルで活躍するために必要なことを聴きました。

二人目の現役グローバル人材の野澤美咲さんは、英語塾キャタルの教師を経て、現在フランスで建築家として活動しています。グローバルな環境で働いている野澤さんに、幼少期を海外で過ごした経験を活かし、ヨーロッパで働こうと決意した経緯や、パリでの生活についてインタビューを行いました。

 

帰国子女であるということ

野澤さんは7歳から14歳までの間をアメリカのカリフォルニア州で過ごし、中学2年生の時に日本に帰国しました。高校を卒業後、早稲田大学創造理工学部建築学科に進学し、同大学院を修了。現在はフランスで建築家として働かれています。約6年間の海外経験など華麗な経歴があり、いわゆる“帰国子女”であるがために苦労されたことも多いようです。

贅沢に思われてしまうかもしれませんが、私はそもそも自分が“帰国子女”と呼ばれることに違和感がありました。“帰国子女”というと、自身の語学力を駆使して、常に自信に溢れているような人を想像される方が多いと思います。勿論、そのような方も沢山いらっしゃいますが、自分を含め、必ずしも全員がそうであるとは限りません。母国と異なる文化圏で育った子供を表す言葉として、“Third Culture Kid”という表現がありますが、周囲を見渡しても、大人になっても自分のアイデンティティや居場所で悩む人は沢山います。何より、様々なバックグラウンドを持つ人を“帰国子女”と一括りにしてしまうことに疑問を感じていたのです。

私は、“帰国子女”や“アメリカ育ち” というレッテル以上に、独自のアイデンティティを育みたい。この気持ちから、大学では語学系ではなく、以前から興味を持っていた建築という分野に進みました。そして、大学院修了後から現在に至るまで、歴史・文化・そしてアートが豊かなパリで建築家として働いています。

アメリカにいた小学生の頃


 

フランスで感じた言葉が通じることの嬉しさ

機会に恵まれ、フランスでの生活を始めたものの、実は私、当時はフランス語を全く喋れなかったのです。パリはヨーロッパの都市の中でも特に英語が通じなくて有名です。幸い、職場の公用語は英語だったので、同僚とのコミュニケーションは問題なく行うことができましたが、実際に生活を始めると、当たり前ですが、銀行口座を開設するにも、アパートを借りるにも、保険に入るにも、全てフランス語を要しますし、仕事でも現地の業者との打ち合わせはフランス語になってしまいます。言葉が通じないがために、郵便局で自分宛に届いた小包を受け取るのに苦戦し、3時間以上かかったこともありました。やっと荷物を手にした頃にはぐったりしてしまって、その頃溜まっていた他の疲れと相まってなんだか泣けてきましたね。

フランスで生活をする中で、始めは言葉が通じないもどかしさ、悔しさを痛感したと語る野澤さん。しかし数々のエピソードを話される姿は意外にもあっけらかんとしており、むしろ何事も前向きに捉える彼女の強さを感じました。

確かに言葉が通じないことは、不自由ですし、精神的に辛くなることが多いです。ただ、自分の意志で渡仏したからには、自力でこの状況を打破しなければいけないという強い気持ちがありました。また、フランスに来て初めて自分の中に潜在的にあった行動力に気付かされました。すぐに諦めてしまうのではなく、自分が過去にゼロから英語を習得したように、コツコツとフランス語を勉強しよう。言語の壁を口実にせず、様々な場所に出かけて、色々な人と交流する中で地道にネットワークを築き、自分の居場所を築いていく。今振り返ると、当時常に前向きな気持ちでいられたのは、過去に自分が語学を習得した経験からの自信があったからだと思います。

新しい言語を習得するということは、コミュニケーションの輪を広める以上に、自身の行動範囲や可能性を広げる機会を増やすことができる、という意味で人の性格や価値観にも良い影響を起こしてくれそうですね。確かに、場所や相手を問わず周囲の人とコミニュケーションを取ることができれば、それは自信に変わり、新たな行動に繋がり、人を大きく成長させてくれます。野澤さんが幼少期にアメリカで英語とともに培ったメンタリティーと行動力こそが、彼女をパリへと導いてくれたのかもしれません。

パリからprovins(プロヴァン)という町に遠出した時の写真です。みんな、異なる国、異なる業界の人たちです。

私はフランスに渡って久しぶりに言葉が通じない悔しさを体感しました。今では、キャタルの生徒さんが教室に来て、なかなか喋れずに固まってしまう気持ちがよくわかります。でも、渡仏したばかりの頃を思い出すと伝わらなかった悔しさより、伝わった時の嬉しさのほうが記憶に残っていて、“やっと通じた!”という成功体験の方が鮮明に覚えています。この感動はパリに渡って3年半経つ今でも同じです。“こんなに生い立ちも文化も、母国語も違うのに、ここまで共感し合えるんだ!”と感じる時の感動は本当に言葉では表現しきれません。

世界各地から様々な理由でパリに集まる人と交流を深める中で、彼らから学ぶ多様な価値観や考え方は、自分の既成概念を覆し、刺激を与えてくれます。仮に話す言語が異なっても、身振り手振りどうにかコミュニケーションを取るのです。
この経験から、私は今語学を学んでいる、また学ぼうとしている方には、恥ずかしがらずに積極的に知っている言葉を並べて、身体を使ってコミュニケーションを取ってみてほしいと思います。
気付いたら自分が想像する以上に自分の気持ちが伝わっていたりするものです。もしなかなか伝わらなったとしても、伝えようとする必死な気持ちは、必ず相手も感じてくれます。このような経験を重ねるうちに、いつの間にか言語の壁を越え、信頼関係を築けていることは多いのではないでしょうか。

キャタルで一緒に子どもたちに英語を教えた教師達と。

 

英語が与えてくれたグローバルに働く機会

現在、野澤さんは世界中の若手建築家が集まる事務所で、建築に限らず空間デザインや展示空間デザインなど多方面で活躍されています。職場には、10以上の国籍の人が集まる、大変グローバルな環境だそうです。

大学を卒業してフランスでの生活を始めて、まだまだ自分の世界は広げられると感じました。仕事柄、建築・デザイン・アート分野の関係者と関わる機会が多いですが、パリには例えばユネスコやOECDなどの国際機関の本部があり、少し積極的に行動すれば、様々な専門知識を持った人と話す機会があるのです。ヨーロッパという世界中から人が集まる場所で、今このように刺激的な生活ができるのは、英語を習得する中で得たコミュニケーションの楽しさや、行動力のお陰かもしれません。

幼少期のアメリカでの生活を経てから日本、フランスと言語も文化も異なる国で生活されている野澤さん。彼女が現在ヨーロッパで活躍できるのは、ただ英語が話せるからではなく、場所や相手を問わず周囲とコミュニケーションを取ろうとする姿勢を持ち、またそこから生まれる喜びや楽しさを誰よりも知っているからなのかもしれません。今後も、世界を舞台に建築家としての野澤さんの活躍が期待されます。

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鈴木 梨子

鈴木 梨子

早稲田大学政治経済学部政治学科所属。 TOEFL iBT 104点、英検一級を持つ。9歳から12歳(2007〜2011)を中国・上海、15歳から17歳(2013〜2015)をデンマーク・コペンハーゲンで過ごす。持ち前のコミュニケーション力を活かし、2016年からキャタルで教師として活躍。将来の夢はファッションを通して世界を変えること。

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