奥村さんの海外歴と学校歴
0歳〜3歳 | シンガポール |
3歳〜6歳 | アメリカ(ミシガン) |
6歳〜15歳 | 日本(東京) インターナショナルスクール |
15歳〜18歳 | ニュージーランド(マスタートン) St.Matthew’s Collegiate School |
18歳〜 | 早稲田大学 国際教養学部 |
19歳・半年間 | 留学 ニュージーランド(オークランド) The University of Auckland |
先生と生徒が一緒に授業をつくっていった
-海外での教育で印象に残っていることは?
ニュージーランドの高校では、先生が授業の環境を整えてくれる方でした。学生が発言しやすい環境になるよう生徒に意見を聞いて、先生と生徒が一緒に授業を作り上げていきました。授業は常にディスカッションベースで行われていたことを覚えています。特に、私が通っていたニュージーランドの高校では、年に一回あるNCEAという大学進学のための全国統一テスト以外にテストはなく、プレゼンテーションやエッセイなどの課題が中心でした。
キャタルでも同じ方法を取り入れて、一方的に教えるのではなく、生徒に聞いてからその生徒ごとにやりやすい学び方に合わせて授業をしています。
英語力を維持向上するために自分がした選択は単身でのニュージー留学
-日本に帰国後、英語力維持の方法は?
日本へ帰国し、インターナショナルスクールに通っていた期間は英語力が衰えていたため、私はニュージーランドの高校で英語のみの生活を送るために留学することを決意しました。インターナショナルスクールの生活は特殊で、中学生で大学生のように自由でいた。その観光に慣れ面白いと感じなくなってきたので、まったく違う世界へ飛び込んでみたいと思い、ニュージーランドでも片田舎な場所を選びました。ニュージーランドでは全寮制の学校へ通っていました。毎日英語しか使うことができず、英語漬けの環境だったため英語力をアップすることができました。
ニュージーランドから大学進学のために日本へ帰国した際も学習環境以外では英語を使用することがなかったため、アルバイトは英語を使うことができる仕事をしたいと考え、キャタルで働くことを決め、さらに英語の家庭教師もしています。
バックグランドの違う人と人をまとめた
-海外で苦労したことはどんなことですか?
言語面において苦労したことはありません。しかし、留学先のニュージーランドは特に地元色が濃い学校であったため、唯一の日本人留学生である私が受け入れてもらえるかについては心配でした。結局自分から入っていくことで全く問題ありませんでした。
しかし、そこは留学生が非常に少なかったため、留学生への理解も乏しく、外国人に対する配慮がほとんどされていなかったことから、他のアジア人留学生と現地の学生の交流が深まらないことにはしばらく悩みました。
そのような中で、アジアと西洋の文化の両方を理解している者として現地の生徒と留学生が互いに過ごしやすい環境を作ろうと決め、どちらの文化も理解している者として寮長に自ら立候補し、寮全体をまとめ、寮生が過ごしやすい環境をつくることに励みました。特に韓国人の留学生はかたまることが多く、夜遅くまで騒いでいたりして、現地の学生は不満に感じていた時にお互いの立場を伝え、インターナショナルごはんの日を設けて互いが理解する橋渡しを行いました。
このようなことを繰り返し、ニュージーランドでは人と密に接することが増え、もっと人のことを知りたいと思うようになり、自分の人生を大きく変えました。
英語と日本語をミックスして話さないことが中途半端にならないコツ
-バイリンガルとして気を付けていることは何ですか?
英語力保持のためには日常生活でも常に英語を使用することが大切だと思われていることが多いため、英語と日本語をミックスして話す方も多くいます。ですが私は英語も日本語もどちらも中途半端にしたくないため、あえて一切ミックスしないよう心がけています。
海外で生活していた時から家では日本語でしか話さず、日本語のドリルに取り組み日本語を忘れないようにしてきました。ニュージーランドでも日本語を使う機会がありましたが、それ以外は英語だけを話すように気を付けていました。それが両方の言語を維持する方法だと私は思います。
自分に合う勉強法でコツコツと
-日本語はどのように身につけたのか?
私はいままで教育を全て英語で受けてきたので、英語は自然に身につきました。逆に日本語はひたすら書いて覚えていました。家庭では日本語を話していましたが、母に文法の間違いを指摘されることもありました。漢字も単語をただ書くのではなくひたすら文章を作って、それを手で書いて覚えていました。キャタルで生徒の親御さんに渡す書類などのために言い回しや自分の言いたいことをネットで調べて、自分なりに文章を作ることでも日本語を習得していきました。
言葉で人に感謝されたり、助けることができたこと
-バイリンガルでよかったと思えた瞬間とは?
言語面でのサポートをし、人に感謝されるときにバイリンガルで良かったと思うことがあります。キャタルで生徒に「先生みたいに話せるようになりたい!」と言われるととても嬉しい気持ちになり、バイリンガルで良かったと思います。働き始めたときは、元気な子を担当することが多く、泣いてしまったり、走り回ってレッスンにならなかったりすることもありましたが、その子一人一人と向き合って、好きなことをおしゃべりしたり、求めていることを聞くことで信頼につながり、授業でも役に立ちました。
自分が経験したことで日本と海外をつなげていきたい
-将来実現したい夢は?
私は日本の文化や社会などをもっと世界に発信していきたいという強い思いから、日本の企業の海外進出をサポートしたいと思うようになりました。
来年から社会人として働き始めるのですが、日本企業が円滑に海外展開することができるように自らの5ヶ国間を移動してきた経験から培った力を発揮することができたら良いなと考えています。色々なバックグラウンドの人と固定観念にとらわれず、うまくやっていける自信があるので、その人の本音を引き出し、個性を認めることでその人のいいところを見出していきたいです。
自分は自分で他人は他人。その違いを受け入れることができて解放された
-ご自身のアイデンティティは?
私自身の経験が自分のアイデンティティです。私は生後間もなくから様々な国を移動してきたため、自分は何人なのか、実家や出身地と呼べるところはどこなのかについて悩むことが大変多かったです。しかも日本で住んでいたときもインターナショナルスクールという独特な環境であったため、日本が生まれ故郷と言っていいのかわかりませんでした。どこへ行っても帰りたい場所は日本で、日本食を懐かしく感じていましたが、アイデンティティに関してはずっと悩んできたことでした。
大学2年くらいまでは固定観念にとらわれ、友人に執着してしまい、自分よりも友人を優先してしまうことがありました。しかし、大切にしている人との関係の温度差を感じることを繰り返すうちに、自分を一つのグループに当てはめることでアイデンティティを見いだすよりも、これまで私の経験してきたことが私自身のアイデンティティであると考えるようになりました。自分は自分、他の人は他の人と思えるようになってやっと吹っ切れました。そして、他人の意見や行動に振り回されることなく自分を優先することで色々な人との出会いも増えるようになり、結果的に視野が広がりました。
言語を学ぶことで可能性が広がります
-現在、英語を学ばれている方へのメッセージ
英語ももちろんですが、言語を学ぶことであらゆる可能性が広がっていくことが私は非常におもしろいと感じています。私はいままで日本を含め5ヶ国を移動してきましたが、英語というツールを通し、様々なバックグラウンドを持つ人々と出会うことができました。アイデンティティクライシスを引き起こし、バイリンガルじゃなきゃ良かったと思うことも何度もありましたが、今では英語を通して様々な人々と出会うことができ、世界中に友達がいることがとても幸せなことであると気づくことができました。
現在、英語を学んでいる方のなかには今まで触れてきたことのない言語を扱い、時には諦めたくなることもあると思います。そんなときは、英語を話せるようになることで自分の夢や目標がどれほど可能性が広がるかを想像してみて下さい。そうすると「頑張ろう!」という気持ちになると思います。
子どもの英語学習におすすめの洋書1冊
Roald Dahl“The BFG”
Roald Dahlの本は様々な感情が入り混じっていると感じるため、読んでいて夢中になることが多い作品です。内容も具体的で、次を読みたくなるものが多く、自分もその世界に入り込んだような気分になります。
そして、彼の本は映画化されることが多いため、映画を観る前に読むのもおすすめです!このThe BFGも9月と10月に日本でも上映されていました。