ノーベル賞受賞利根川進教授に直接聞いてみた!英語、留学、教育、MITへの考察 | バイリンガルへの道

ノーベル賞受賞利根川進教授に直接聞いてみた!英語、留学、教育、MITへの考察

ノーベル賞受賞利根川進教授に直接聞いてみた!英語、留学、教育、MITへの考察

まっすぐな方である。自分も人も騙すことがない口調や視線は、真実を追い求めるサイエンティストの性分だと言えるかもしれない。きっと、この性格であったからこそ、科学者として成功されたのだろう。幸運にも利根川進教授に、彼の研究室があるMIT内のピカワ研究所でインタビューすることができた。

利根川教授へのインタビュー

 

利根川進マサチューセッツ工科大学教授。抗体遺伝子において遺伝子の組み換えが起こることを発見し、無数にある病原に対抗する抗体の多様性が、どのようにして生み出されるかを解明して、1987年にノーベル医学生理学賞を単独受賞する。
利根川教授が、ノーベル賞に至るまでの道筋は、立花隆氏との共著『精神と物質』や日経新聞に掲載された「私の履歴書」で読み知ることができる。京都大学を卒業後、カリフォルニア大学サンディエゴ校にて博士号を修得する。その後ビザの問題でアメリカで研究活動を続けることが難しくなり、職を日本かカナダかに求めていたところ、スイスのバーゼル免疫研究所から声がかかり、スイスに研究の場所を移すことになる。結果的にここでの研究が後のノーベル賞につながるのだが、実は利根川教授の博士号は分子生物学で、受賞の対象となった研究の免疫学は、スイスに移ってしばらくするまでは専門外であった。それでもスイスに移り、免疫の研究を始めるという大きな冒険が、大きな成果をもたらすことになった。
利根川教授の生きてこられた軌跡は、冒険心に満ちて人生を切り開いていこうと考えている若い世代には、大きな励みとなるだろう。そして海外にいながらも、母国を憂い、MITという科学の最先端の場所から、我々に檄を送るかのように研究に取り組まれている姿には、勇気をもらう。

利根川教授のインタビューとなると、普段は科学のことが中心だが、今回はキャタルのために、いつもは聞けない英語の勉強法や、脳と教育の関係などについて貴重な話を聞くことができた。

MITピカワ研究所所長が実践している英語学習法とは

三石:教授は京都大学を卒業されてカリフォルニア大学サンディエゴ校に留学をされましたが、当時はどのような思いがあったのですか?

利根川:思いも何も、アメリカに来るしかなかったんだよ。

三石:当時は安保が盛んな時期でしたが、京都大学も安保で研究どころではなかったということですか?

利根川:いやいや、それもあったかも知れないけど。そもそも自分がやりたいことが、アメリカに来ないと出来なかった。日本で研究をしたくても、分子生物学っていう分野はアメリカでしかやってなかった。僕は人生のなかで何人もの素晴らしい先生に出会っているんだけど、その中の1人である渡辺格先生に、サンディエゴに行くことを勧められて行くことにしたんだよ。

(京都大学ウイルス研究所時代、渡邊格先生と。)

(京都大学ウイルス研究所時代、渡邊格先生と。)

三石:今のサンディエゴはカリフォルニアでも有数の大都市ですが、当時行かれた時はいかがでしたか?

利根川:今に比べるとそれはまだ田舎という感じだったけど、それでもはじめて行った時は「こんなにうまい話があるのか」と思ったよ。図書館なんかも24時間開いていて、自分の机もそこにあっていつでも勉強できる。ご飯なんかもカフェテリアがあって、ローストビーフでもチキンの丸焼きでもなんでもある。当時はまだ日本の食生活は貧しかったから、地上のパラダイスのようだった。

三石:教授がサンディエゴに行かれた頃は、アメリカへの留学はまだまだメジャーな選択肢ではなかったと思います。逆に、現在のように海外の情報が容易に手に入り、航空券も安くなっているのでもっと日本からの留学生も増えてもいいと思いますが、全然増えていないのが現状です。教授はこれについて、どうしたら日本人の留学生が増えると考えていらっしゃいますか?

利根川:MITを見ていても、日本の学部生は1学年に1人くらいしかいない。本当に少ない。それに対して、中国や韓国からの留学生は非常に多い。カリフォルニアなんかに行ってみると、学生の半分くらいはアジアからの留学生だったりする。これはさっきの話と似ているんだけど、中国や韓国の学生は、本国では学びたくても発展途上の部分がたくさんあるから、こっちに来るしかないんだよね。

(博士研究員として在籍したソーク研究所のレナード・ダルベッコ(Renato Dulbecco)の研究室にて。)

(博士研究員として在籍したソーク研究所のレナード・ダルベッコ(Renato Dulbecco)の研究室にて。)

利根川:それに対して日本の場合は、こっちに来なくてもことが済んでしまう。むしろ将来的な職のことを考えると、下手にMITやHarvardなんかにくるよりも、日本の大学に居続けて教授と仲良くしている方がポストを回してくれたりする。
日本はムラ社会だから、この人が何をしたかという実績よりも、どこにいるのかで人が評価される。そうすると「東大の教授になる」ということがゴールになっちゃう。それが最終目的になってしまう。英語教育にもその原因があるかもしれない。中国や韓国から来た学生たちは、英語の世界にどっぷり浸かるようなことはなかっただろうけど、それでも相当英語力は高い。
サイエンスの世界ではもう英語なしでは、研究もできないでしょう。僕のところにもたまにアラビア語とかでメールがくるけど、何書いてあるかわからないから、当然返信しないよね。日本もこれからインターナショナルなCitizenを育てていかなければ、サイエンスだけでなく色々な分野で遅れていくことになる。

三石:では、英語はどうやって勉強すればいいですか?

利根川:一番いいのは、薄いのでもいいから本を読むことじゃないかな。簡単で、面白いと思える本を読むのがいいと思う。たくさん読むことが必要だね。強制的ではなく、面白い本を推薦してあげるといい。今でも僕なんかは、英語を勉強しなければいけないから、小さい本をトイレなんかに持って行って読んでいるよ。

三石:本当ですか?教授はたくさん論文なんかを読まれているので、もう読む必要はないのではないですか?

利根川:いやいや、サイエンスの論文なんて、作家なんかに見せると「That’s not English」だって言われてしまうかもしれない。もっとLiteratureとして耐えられるものをたくさん読まなければいけない。あとは新しい表現を覚えたらそれを使ってみること。例えば「sea change」っていう表現があるんだけどどういう意味だか知ってる?

三石:うーん、なんだか業界が急に変わるような感じですかね?

利根川:そうね、ちょっと近いね。シェクスピアの言葉で「世界が変わるような、新しい発見が起こる」という意味なんだけど、これなんかはうちの研究所にCambridge大学出身の研究者がいて、彼みたいにLiteratureを大切にする国出身の人はこういう表現を使ってくる。これを僕も真似て、使ってみるんだよ。「Sea change!」って。自分で使ってみると、バシッとくる。インパクトがあるからね。その時はじめてYou own the expression.つまり、自分のものにしたことになるわけだ。だからライティングを通じて英語を自分のものにするというのはいいと思う。

ここまで、教授の留学経験や英語学習の重要性などを中心に話をうかがった。驚いたことは、渡米してから50年も経った今でも英語の勉強をしているということ。そしてその中心に、読書とそこで学んだ表現を使ってみるという、まさにインプットとアウトプットを繰り返すという、このブログの中でも頻繁にお伝えしてきた学習法を実践されていることだ。
世にたくさんある英会話学校で少し話せるようになるくらいではなく、場数を踏みながら自分の表現を身につける大切さを、利根川教授のように英語の世界の最先端で生きる人だからこそ思われているのだと思う。

成功する人と遺伝子の関係。なぜ人は教育をするのか

利根川教授の経歴を見ると実は意外な一面があることを知る。名門日比谷高校を卒業してから、京都大学に入学されているのだが、実はその間に1年浪人をしているのである。後にノーベル賞を受賞するような頭脳なら、大学入試は軽々と超えそうだと思ってしまうが、そうではなかったようだ。ここでは、利根川教授の考える、科学者として成功するタイプの人間の特徴はなにか。またそれは後天的に得られるものなのか、遺伝子で決まっているものなのかを、ノーベル賞受賞者の利根川進教授に直接聞いてみた。

三石:教授のように偉業を成し遂げられる科学者は一握りだと思います。ビジネスやスポーツなどでも同じだと思うのですが、大きな発見をして成功する科学者と、そうでない科学者はどのような違いあるのでしょうか?

利根川:Scienceっていうのは、実験の大部分はうまくいかない。あるとき閃いた仮説を長い時間かけて実験をして証明するわけだけど、1年かけて実験しても、面白い話にならないようなことがある。むしろそれが普通。失敗に失敗を重ねて、ずーとああでもないこうでもないと同じことを考えている。成功している人っていうのは、ちょっとCrazyなくらいにOptimisticだね。どんなに失敗しても一晩寝たらまたけろっとして、研究を続けているような人。こっちから見ると「お前そんなに大変なのに、よく頑張っていられるな」というようなぐらいの人だよ、大体。
Persistent(執着心がある)って言ったらいいか、1つのことに強く執着してやっている。例えばニュートンなんかも、もともと天才かもしれないけど、大変な努力もしている。大切なことは、本人は努力をしていると思っていないというところ。好きなことをしているからスイスイとやっていて、努力していないように見えるけれども、本当は大変な努力をしている。

コールド・スプリング・ハーバー研究所のジェームズ・ワトソン(James Dewey Watson)所長と

コールド・スプリング・ハーバー研究所のジェームズ・ワトソン(James Dewey Watson)所長と

どうしたらそんなに楽天的に、研究に取り組める情熱を持てるのか?という質問をすべきであったが、当日この話を聞けなかったので、前述の「精神と物質」の中からの記述を追加したい。(『精神と物質』第4章 「サイエンティストの頭脳とは」より)

サイエンスでは、自分自身がConvince(確信)することが一番大切なんです。自分がConvinceしていることなら、いつかみんなをコンヴィンスさせられます。まず自分をコンヴィンスさせるというのが一番大変なんであって、人をコンヴィンスさせるなんて、そう大したことじゃない。ただ、人によってはね、簡単に何でもコンヴィンスしちゃう人がいるけど、あれはダメよ。そういう人は、間違ったことをすぐに正しいと思いこんでしまうからね。自分自身に何度も何度も、本当にそうなんだろうか、絶対間違いないんだろうか、と問いなおして、いやこれで絶対に間違いないと、時間をかけて、徹底的に問い詰めたうえでのコンヴィンスね。これができればいいわけです。
自分自身が絶対的に信じられるということ。そして、それに向かって楽天的に、Persistentであり続けることが、何かを成し遂げるために必要なのだということになるだろう。科学というものは、天才と言われるような人たちが集まって、人類がまだ発見できていない事実を発見するような取り組みなので、その中でどれだけ自分が信じることをやり続けるかが成功の鍵になるのだろう。

三石:楽天的なくらい一貫性を持って何かを続けられれば、誰でも成功できるのでしょうか。たとえば教授の研究テーマである遺伝子などは、その人の成功にはあまり関係ないのでしょうか?

利根川:いやいや、そんなのは全部遺伝子で決まってるんだよ。

三石:そ、そうなんですか?(苦笑)

利根川:そう。人間みんな親からもらった遺伝子で、枠が決まっているの。いくら努力したって、その枠を出ることはできない。例えばあなたは100mを10秒では走れない。そういう遺伝子はもっていないから。
だから、あとは遺伝子の枠のなかで、どれだけ持って生まれた能力が発揮されるか。もらった遺伝子の中で、どれだけ面白い、満足感が得られる人生を送ることができるか。そのために教育をするわけだ。
それぞれの動物は生きていくために、2つの種類の情報を活用している。一つは、遺伝子。もう一つはMemory。Memoryというのは言い換えると、経験ということ。経験からMemoryは作られるからね。その二種類の情報しかもっていない。生まれつきの遺伝子がNatureなのに対して、後天的な経験はNurture(育成する)だね。
そうすると遺伝子は変えられないから、どのようなMemoryを作っていくかしか努力の余地は残ってない。どのような友だちに出会ったか、どのような先生に出会ったか、という経験が大切になって、その人たちから大きな影響を受ける。つまり誰とつきあい、どこにいたかという、教育によって残りの半分が決まることになる。人とのInteraction。親とのInteraction。こういった教育そのものが、その人の能力にすごく影響を与えるわけ。

三石:では、小中高生にどのような教育を提供すればいいでしょうか。

利根川:例えば、どうやったら良い研究ができるかとよく聞かれるんだけどは、そんなことには答えはない。そんなものが分かったら、毎日大発見ができてしまう。大切なのは「これはオモロイな」と思うかどうか。面白いと思えばしめたもの。面白ければ追求できるから。教育もこれと同じで、面白いかどうかが大切。
だけど、中学生や高校生に科学の面白さを伝えるような授業をするのは、正直難しいと思うよ。既に知られている事実を教えるわけで、未知のことを発見するような面白みというのは正直無い。中高生に、アカデミックが面白いなんてことを教えるには、先生の相当な創意工夫が必要だから。

三石:ではどうやって子供たちに面白いことを教えればいいのでしょうか。

利根川:子供たちは「かっこいい」ことには集まってくるから、やっぱり「かっこ良さ」は重要だと思う。あの先生は、見た目が格好いい。Performanceが格好いい。言うことが格好いいとか。まずは「かっこいいな」というところから興味が始まる。みんなその人にあこがれて授業に出るわけだ。

三石:そうすると先生はみんなかっこよくないと、子供たちは勉強してくれないですね。

利根川:それがただの見かけだけの格好よさで終わってしまったらダメだけど、まずはかっこいいと思ってもらえるように、努力しないと。子供たちが格好いいものに憧れる力というのは、パワフルだから。

三石:僕なんかは、海外に対しての憧れも強いので、MITなんかに来ると、かっこいいなぁって憧れちゃうんですけど、例えば日本の中高生はこのような世界があることを知らない子たちのほうが多いです。そうすると知らないものは目指せないですから、もっとこういうかっこいい世界があることを知らしめないといけないと思います。教授はこういった問題を解決するために何かしたいと思いますか?

利根川:いや、そうだね。知らないことは目指せないというのはその通りだね。子供たちは、格好いいところにあつまる。だから何が格好いいのかを、広く知らしめくてはいけない。ボストンには実にかっこいい学校があるよ。
僕自身はもう新しい問題を掲げてそれを解決するというのは、難しいな。英語で言うとMy plate is full. 自分が一番興味のある問題をすでに自分のお皿に持ってきちゃっているから、今の問題だけで精一杯だな。そういったことは誰かに解決してもらわないと。

ここでは、利根川教授のユーモアに溢れて気取らない性格がにじみ出た回になった。一人の人間の能力は遺伝子で枠が決まっている。だからこそ教育をしなければいけない。そしてだから利根川教授は、メモリーの研究をしているんだ、という言葉が心強かった。自分のお皿は既にいっぱいだと言いながらも、このようなインタビューに答えていただけるのは、教授の優しさと日本の国際化に対して貢献したいという気持ちの現われなのだろうと思った。

日本とアメリカの教育の違い。そして脳科学が行き着く先とは

利根川教授は、1987年にノーベル賞を受賞するが、その前にスイスから再びアメリカに移り、現在でもMITで研究を続けている。ご家族もボストンで暮らしており、お子さんたちはアメリカで育っている。ここでは、日本とアメリカの教育の違いや、バイリンガル教育の是非、そして脳科学の行き着く先と教育の在り方などについて直接聞いてみた。

三石:最近日本では英語教育が加熱ぎみで、特に小さい頃からバイリンガルに育てようと、小学校に上る前からインターナショナルスクールなどに入れて、英語で子育てをしようとする両親が日本人のご家庭などもあります。利根川教授が、ボストンでお子さんを育てた経験からバイリンガル教育についてどのようにお考えでしょうか?

利根川:小さい頃から英語を学ばせることには、賛否両論あるわけで、特に母国語がしっかりとできるようになる前に英語を勉強しても、思考の基礎となる母語が出来なければ思考が広がらないという人もいるよね。実際に、バイリンガルの環境で育った子どもの方が、言葉を習得するのが遅くなるというレポートなんかもある。僕も子どもを育てるときに、両親がネイティブでないから、バイリンガルの環境では子供たちに悪影響があるんじゃないかと、相当悩んだ。でも、ある時子どもの行く学校の信頼できる先生と話をしていて、「この子たちがバイリンガルになることができれば、それは子供たちにとって大きなAsset(財産)になりますよ」と言われて、それはそうだろうと元気づけられた。CultureとLanguageは直結しているから、いろんなCultureの視点から物事を見れるようになったほうがいいというわけ。

三石:バイリンガルとモノリンガルの脳には違いはあるのですか?

利根川:脳は、Plasticity(可塑性)といって、学習や経験を通じて脳のProportionが変化するという特徴がある。モノリンガルとバイリンガル、マルチリンガルではこのPlasticityのおかげで脳の形が変わってくる。これは実は、若ければ若い分だけ変化しやすくて、年を取ってくるとPlasticityは失われていくんだよね。だから、小さいうちから多言語の刺激を入れてあげたほうが、習得は早いということになる。

三石:小さいうちから英会話学校みたいなところに行くことについてはどのように考えますか?

利根川:世にあるEnglish Conversation Schoolみたいなところに行っても、十分ではないと思う。最終的には、きちっと正確な英語を書けるようにならないといけない。インターナショナルな場面で相手をImpressするようになるためには、先生にも相当の実力がないとダメだろうね。だから、あなた達がやっているような、書けるようになるようにするという教育はいいと思うよ(*1)。

例えば、theとかaとかの冠詞。あれなんか僕は今だに間違える。ああいうのが感覚で使い分けられるようになるには、小さいうちに何度も読んで、書いてを繰り返していないとできるようにはならない。あれが完全に感覚で使い分けられるようになったら大したものだ。

三石:他に英語を習得するために、脳科学的にやっておくといいことなどはありますか?

利根川:脳科学なんて言ったって、脳なんてまだ10%くらいしか分かってないわけだから、よくわからないけど(笑)、Plasticityの話で言うと、音楽を小さいうちからやっておくというのはいいだろうね。たとえソリストなんかにならなかったとしても、脳が音に対してSensitiveになる。僕なんか聞いてもわからない音の違いでも、音楽をやっていれば聞き分けられるようになるから、そういう人は言語をやる上では有利だね。

三石:これからの未来は人工知能が発達して、今まで人間がやっていたことをロボットやコンピューターが代替すると聞きます。そうすると人間はもっと音楽や文学など、感情的な芸術方面に進むようになるのでしょうか?

利根川:Artificial Intelligenceの世界には、2045年問題というのがあって、あと30年もするとコンピューターは人間よりも高度な感情を持つようになると言われている。そうすると、コンピューターがモーツアルトみたいな作曲をし始めるかもしれない。もっと言うと、コンピューターを御しきれなくなって人間がコンピューターに滅ぼされるなんて、SFみたいなことも本当に問題になるかもしれない。そういう方向に脳科学が進んでいることは確かだよね。どう規制するかという話も、始まってくるだろう。

三石:最後に日本の英語教育についてお聞きします。去年から日本ではスーパーグローバル大学というのが選定されて、大学も国際化に舵を切ろうとしています。これらの大学は年間約4億の予算をもらって国際化を推進しようとしています。教授はこのような日本の大学の国際化の動きについてどのようにお考えですか?

利根川:4億では、予算として小さすぎるね。(*2)。教育というものを本気でなんとかし、行政が引っ張っていこうという力が弱いと思う。例えば、シンガポールなんかは、国がトップダウンで決めていくからNUS(National University of Singapore)なんかは、どんどん進歩している(*3)
国がお金を出して、先生の給料を倍くらいにして、教育に進みたい人をもっとふやしたら、優れた人材が集まるようになるんじゃないか。給料というのはやっぱり大切な要素で、日本だと給料が低い上に、先生は教える以外にも部活や雑用で忙しいから、思いっきり授業に力を注ぐことができず、やりがいが少ない。先生が忙しいから、子供たちは放課後に学校で勉強できなくて、塾に通っている。
ボストンのいい学校に行くと、授業なんかは15人位でやっていて、先生たちはみんなMAやPhdを持っていて、教育の現場に工夫と活気があるこういう学校ではみんな一生懸命勉強していて、スマートであることがクールだということになっている。

こうして利根川教授へのインタビューは終了した。日本を代表する知が今何を考えているか、日本の教育についてどのように考えているかを少しでも読者の皆さんにお伝えできれば嬉しい限りである。

1 キャタルでは、Rewritesというライティングのオンラインサービスを行っています
*2 アメリカの大学は、日本の大学とは比べ物にならないほどの資産を持っており、最近では、その資金力を使って合格者はどんな家庭出身者でも大学に通えるような奨学金に力を入れている。日本の中でお金持ちで有名な慶應義塾大学と比べても桁違いの資産を持っている。総資産額:慶應義塾3600億円、MIT 1兆6200億円($13.5bil)、Harvard 4兆3680億円($13.5bil)Wikipedia より
*3 NUSはこのインタビュー後に発表されたTHE(Times Higher Education)で世界ランキング26位。東京大学を抜いてアジア1位になっている。