一度失った英語力と自信を取り戻せた!上智大・吉田さん | バイリンガルへの道

一度失った英語力と自信を取り戻せた!上智大・吉田さん

一度失った英語力と自信を取り戻せた!上智大・吉田さん

上智大・吉田さんのバイリンガルストーリー!英語を使って、エスニシティや人種差別、移民について勉強したいと思った吉田さんには理由がありました。幼少期に体験したある出来事や、日本人として誇りをもつために英語力を身につけた学習方法を教えてもらいました。

大学2年、カナダのBritish Columbia大学の敷地内にあるビーチにルームメイトと一緒に夕焼けを見に行った時の写真。右から2番目が吉田さん

大学2年、カナダのBritish Columbia大学の敷地内にあるビーチにルームメイトと一緒に夕焼けを見に行った時の写真。右から2番目が吉田さん

吉田さんの海外歴と学校歴

0歳〜7歳 日本
7歳〜11歳 アメリカ カリフォルニア州
11歳〜18歳 日本
18歳〜現在 日本 上智大学 国際教養学部
19歳〜20歳 カナダ University of British Columbia
21歳 スペイン 短期留学

英語の所持資格

英検一級・TOEIC 990点・TOEFL iBT 101点

厳しい先生のもと、単語を何度も書いて覚えた

ー7歳でアメリカに行かれたんですね。現地で苦労したことはありますか?

ABCと簡単な挨拶しかわからない状態で現地校に入り、初日からパニックでした。私は当時、なぜか「ローマ字さえ知っていれば問題ない」と信じていました。そして、学校初日、私の席は一番前で、先生が話しかけてくるが何を聞かれているのかわからず、生まれて初めて言葉が通じない怖さを実感しました。

さらに、とてもスパルタな先生で、毎日の宿題の量がとても多かったです。例えば、毎週必ず宿題がどっさり出されるんですが、一番最初に「今週の単語」というものが10〜15個くらいあり、それを週の最後のテストまでに覚えないといけませんでした。それを毎日家に帰って勉強しました。ボキャブラリーカードを作り、表に単語を書いて、裏に絵を描いて、必死に覚えようとしていました。また、スペリングもちゃんと書けていないと減点されるので、綴りも気をつけていました。例えば “bridge” とか、「何でここにdが入るんだろう?」と思いつつ、何度も丁寧に書いて覚えようとしました。

ーそれは大変でしたね。他にどのような授業がありましたか?

現地校に入って最初の2年間はESL(English as a Second Language)の授業を受けていたんですが、先ほどのスパルタな先生が1年目のESLの先生でした。2年目のESLの先生はプレゼンテーションが好きな先生で、みんなの前で発言する授業が多かったです。

ーどういうことをプレゼンしましたか?

アメリカの歴史上の人物で興味がある人になりきってプレゼンをする、というものがありました。例えば、アブラハム・リンカーンの格好をして、帽子なども自分で作って、みんなの前で「自分はこういう人間だ」と話す。もちろんカンペなどないので、全部覚えて自分の言葉で発表しました。

私はこのようなプレゼンを「嫌だな」と感じたことがなく、むしろ「面白いな」って思っていました。英語と同時に歴史上の人物についても学べたので。

小学校2年生の時。近所の仲の良かった友人とハロウィーンに撮った写真。右が吉田さん

小学校2年生の時。近所の仲の良かった友人とハロウィーンに撮った写真。右が吉田さん

英語の勉強を一旦やめると急降下してしまう!

ー4年間アメリカで過ごした後、帰国し、普通の日本の学校に行きましたよね。英語力はどのように維持しましたか?

正直、帰国してから一時、英語力が急速に落ちてしまいました。
私が入った中学校では、帰国子女が本当に160人中5人いるかいないか程度でした。クラスも一応レベル分けされていましたが、上のクラスに行っても、英語が少しできる程度の子もいるような感じだったので、ほとんどABCから学ぶっていう状況でした。その中にいますと、「自分は英語ができるし、まぁいっか」と思ってしまって。

転機が来たのは中3の頃です。英検1級を取ってみようと思って勉強し始めましたが、準一級の参考書にある単語さえわからなくなっていて。「これはまずい、一級は本当に無理なのかもしれない」ってその時思いましたね。本当にそこから勉強をし始めるようになりましたね。

ー単語力に危機感を感じたということですか?

単語力がないし、リスニングが衰えたなとも感じました。あとスピーキングの面でも。中学3年の時に模擬国連でシンガポールに行ったんですが、その時にいろんな国から集まった、自分と同じ年齢ぐらいの学生さんとディスカッションをしました。その時に、自分が言いたいことが全然言えなかったり、周りの発言の質に圧倒されたりしました。「何やってるんだろう、なんでこんなに英語力落ちたんだろう」って、すごく悔しかったですね。自分の気持ちを言えなくなっていることにビックリして。中学・高校ではトップレベルにいましたが、外に出ると「どうしたの自分?」って。

英語の目標を一つずつ決め、自信を少しずつ取り戻した

ーそれは辛かったですね。そこからどうやって持ち直したんですか?

まず目標を決めました。高1くらいから大学の事を考え始めたんですけど、大学では英語を使えて、英語で何かを勉強できるようなところに入りたいなと漠然と思っていました。そうするにはやはり英語を伸ばしていかないといけない、英検一級を取ったりTOEFLを受けないといけない、SATも受けた方が良いと考え始めました。その資格試験の目標を一つずつ定めていって、それをゴールとしてそれに向けて勉強をしましたね。ひたすら参考書を解いたり単語力をつけたり。

ー単語力はどうやってつけましたか?

ボキャブラリーカードを作りました。あと、単語と一緒に絵が描かれている、とても覚えやすいSATの参考書がありました。ビジュアルから単語を覚えるという感じで。SATに出てくる難しい単語でも、ビジュアルで覚えられる。電車の中でずっと読んでいると、知らない間に単語力がついていました。

ーアメリカから帰国した直後の自分の英語に対する自信も取り戻せたと思いますか?

一つずつ目標をクリアして、最終的に取り戻しましたが、大学に入ってからも波がありました。周りにも帰国子女、インターにずっといた人、海外から帰ってきてすぐの人などがいて、そこでまた「わぁ」って圧倒されました。エッセイの課題とかでも、ネイティブの人が2時間でできるのに、私は4時間かかってしまったり。そこでも自信をなくしてしまったりしましたね。次から次へと試練がありました(笑)

ーエッセイの書き方はそれまであまり学んでいなかったんですか?

中学では全くやっていませんでしたね。高校では、書いたエッセイをネイティブの先生に添削してもらっていました。添削してもらう機会がないと、書きっぱなしで、どこがどのようにダメなのかがわからないので。

ー添削してもらうことが、ライティング強化の鍵ということですか?

絶対そうだと思います。あと、「もっとこういう言い回しもあるよ」と教えてもらえたりするので、とても伸びると思います。

高校2年生の時。ニューヨーク国連本部での模擬国連に参加した時の写真。真ん中が吉田さん

高校2年生の時。ニューヨーク国連本部での模擬国連に参加した時の写真。真ん中が吉田さん

文法より、実用的な英語を先に学んだ方が良い

ー吉田さんは、幼少時代そして大学時代も海外で教育を受ける機会がありました。日本の英語教育との違いで何か感じたことがありますか?

日本の授業では座って先生の話を聞いて、ノートを取って、それを丸暗記してテストでその記憶力を発揮すれば良い成績が取れます。でもそれだと「暗記ができる人」=「優秀」とみなされてしまう点に疑問を感じました。本当に先生が言っていることが正しいのか、こんな意見もあるのではないか?という “critical thinking” (多角的に物事を捉え考える力)を養う授業はないな、と感じました。

日本の中学と高校の英語の授業は、実用的な英語を習うというよりも、とにかく暗記・和訳・英訳という感じでした。和訳・英訳ができたところで、外国人に道を尋ねられた時にとっさに対応ができるのだろうか?と疑問を感じていました。また、文法にとても力を入れていて、それが逆に英語で会話をする時に邪魔をしているのではないかと感じました。文法はもちろん大事ですが、一言も話せなかったら意思疎通もできない。とにかく「何か話してみよう」という一歩を踏み出せない日本人が多い理由として、みんな文法を気にしすぎているからだと思います。逆に、海外留学や旅行をしていると、めちゃくちゃな英語ですが、どんどん話す外国人は大勢いたことに気づきましたね。

ーでは、日本の学校はどういうことをしていけば良いと思いますか?

もっと実用的な英語から学ぶと良いと思います。例えば、”I want to go to the restroom” や “I have a question” というフレーズから覚えていって、「できた」「これもできた」という感じで一歩ずつステップアップしていき、英語に自信を持ってもらうことが必要だと思います。あと、文法だけを覚えるのではなく、使えるフレーズと一緒に文法を学んで行く方が良いと思います。例えば、 “Not only A but also B” というようなことが書かれた単語帳をひたすら覚えるのではなく、実際にセンテンスと一緒に覚えたり。

あと、日本では自分の意見をいう英語の授業がほとんどないです。英語を学ぶ、という感じなので、果たしてそれを使えるようになるのかというと、そうでもなくて。なので、文法をある程度学んだ上で、自分の意見をいう練習があると良いと思います。私が小学校の頃やったアブラハム・リンカーンの発表のように、みんなの前でプレゼンをしたり。そういうことをやっていった方が「使える英語」が身につくのかな、と思います。

吉田さんのオススメの洋書


The Magic Tree House series


Goosebumps series

英語力を伸ばして、もっと海外と触れ合いたい!

ー帰国子女の中には、英語を手放してしまう人もいますが、吉田さんはなぜ英語をキープしようと思ったんですか?

英語は嫌いじゃなかったし、むしろ海外が好きで、アメリカがとても楽しかったので、もっと英語を伸ばしたいなと自分の中で思っていました。英語ができると、みんなより世界が広がる気がします。なので、もっと英語力を伸ばして海外と触れ合いたいと思いました。

ーアメリカでは、何がとても楽しかったんですか?

いろんな国の人が学校にいて、刺激的でした。その人たちの文化であったり、自分が思いつかなかったことを思っていたり、価値観も全然違うんです。インド人の子の誕生日会に呼ばれたんですけど、カレーの匂いがプンプンしていて(笑)親戚一同いたりして。そういうことが面白かったし、刺激的で、いろいろ学ぶことが多かったですね。

ーそして実際に大学に入り、留学を二度も実現されていますね。カナダでは1年間いかれていますが、留学先で受けた授業で印象的なものはありますか?

すべての授業が印象的でした。上智大学の国際教養学部でも、外国人や留学生はたくさんいますが、留学先の大学では彼らよりも発言する人が多かったです。自分からディスカッションに参加していかないと置いていかれてしまいます。誰も助けてくれないし、「あなたはどう思うの?」と聞かれることもないです。留学生に対する特別扱いは一切ないんです。教授には自分からアポイントをとって質問をしに行かなければならない。聞かずにレポートの指示を誤解してしまっても、自己責任。「こんなこと習っていない」という言い訳も通用しない。「聞かない自分が悪いでしょ」というスタンスです。

ーすごいですね。具体的なエピソードはありますか?

全体的に講義形式の授業でしたが、月に1回、グループでディスカッションをしました。その時にカナダの原住民についてのディスカッションがあったんですが、私は「そんなの知らないし」と思って(笑)。でも、周りの学生はすでにIntroductory(概要)の授業で学んでいて、この授業は2番目に取るべき授業でした。なので、みんなわかっている前提で先生は話しますし、どんどん自分から発言していかないと置いていかれてしまいます。私はあまりそういう授業に慣れていなかったので、「どうしよう」と焦りました。内容もよくわからないし、自分の意見をガーって言えるわけでもないし、そういうことも日本ではやっていなかったので、とにかく圧倒されるばかりで。

ーそこをどうやって乗り越えましたか?

とりあえずトピックを事前に勉強して、ある程度の知識を蓄えて、さらに自分がどう思っているかという部分まで自分なりに考えてからディスカッションに臨みました。すると、発言が少しずつできるようになっていきました。

ー留学をして、自分の英語力はどのように変化したと感じますか?

リーディングとライティングはめちゃくちゃ上がったと感じます。特にリーディングは1日に50ページ以上読まされるんで、効率よく、要領よく読むという面ではリーディングがとても早くなったと思います。あと、ライティングはもちろん毎日のようにエッセイを書かせられるので、気づいたらすごく書けるようになっていました。今まで1000文字とか「えー」って思っていましたが、それが全然書けるようになりました。

小さい頃受けた人種差別が、興味を持つきっかけとなった

ー上智大学を決める際に、英語を使って勉強したいと言っていましたが、どういうことを学びたいと思いましたか?

英語自体を勉強したいのではなく、英語でエスニシティや人種差別、移民について勉強したいと思ったので、上智大学に進学しました。

ーなぜそのテーマに興味を持ったんですか?

私、小学生の時に人種差別を受けたことがあって。

ーえ、アメリカの小学校で!?

そうなんです。同じクラスの子から、冗談だと思うんですけど “I hate Japanese” (日本人が嫌いだ)って言われて。その時は「なんでそういうことを思う人がいるんだろう?」ってすごく不思議に思って、その差別のメカニズムについて知りたいなと思ったんです。スーパーやレストランとかでも、白人の店員の人が、私と私の母親の前のお客さん(白人)とは楽しそうに喋っているのに、私たちの番が来ると「ハロー」も言わずに淡々とやっていたり。それがとても不思議でしたし、悲しいなと思ったりもして、その勉強をしたいと思いました。

ーその時の気持ちは覚えていますか?

「同じ人間なのに、なんで肌の色、見た目で差別されないといけないんだろう?」と思いました。私は別にその人に対して悪いことをしたわけではないし、嫌なことをしたわけじゃない。なのに向こうは「いきなり」差別してくる。それがとても嫌で、もどかしかったです。でも、別に何も言えないし、言って反論されてもいやだし。それでさらに日本人やアジア系の人を嫌いになられても嫌だと思いまして。

ー小さい時にそういう「差別」というものに直面して、興味が湧いた?

あと、カリフォルニアにいた間、補習校に通っていまして、夏休みの宿題のためにサンフランシスコにある Japan Town (日本人町)に行きました。そこにいる日系人の方に話を伺い、日系人が第二次世界大戦の時に迫害された話や、強制収容所に連行された話を聞きました。その時、私は小5でしたが、昔アメリカに住んでいた日本人も、私みたいに、私より酷い扱いでしたが、差別されたことがあるんだと知って、さらに興味を持ちました。

大学4年生、就職活動後に行ったスペイン留学にて。語学学校のクラスメイト達とハイキングに行った時の写真。中央が吉田さん

大学4年生、就職活動後に行ったスペイン留学にて。語学学校のクラスメイト達とハイキングに行った時の写真。中央が吉田さん

勉強すればするほど、英語は自分のプラスになる

ーバイリンガルでよかったと思う瞬間とは?

どこに行っても怖くないです!英語ができれば、トラブルが起きても大概どうにかなります。あと、情報が素早く手に入ります。海外からのニュースが和訳されるのを待たずに、自分で英語で検索して必要な情報を手に入れられます。また、旅行先の口コミなども、日本語で検索するより英語で検索する方が何十倍も情報が手に入ります。

ー自分のアイデンティティは?

純粋な日本人なのかなと思います。

帰国した直後の中学の頃とかは、「私って何人だろう」って思ったこともありました。周りに比べたら英語は喋れるし、ジェスチャーとかもすごく外国人っぽいってみんなに言われて。でもやっぱり海外に行くと、自分の母国語は日本語だし。結局どこにもフィットしない感じで。

ただ、海外に出ると、向こうは自分のことを一日本人として見てくるし、私に日本の事についてたくさん聞いてきます。相手からすると、私は「日本について全部知っているだろう」と思っているので。なので、日本について外国人に言えるようにならないといけないと思いました。日本人として生まれたからには、日本人として誇りを持って生きていかないといけないと思いました。

ー最後に、現在英語を学ばれている方へのアドバイスを。

英語はすぐには結果が出ないからこそ、粘り強く楽しく学習し続けていくことが大切です。一旦やめるとそこからの急降下は凄まじく、取り戻すために倍以上の努力が必要です。英語学習には終わりがないので、気を張り詰めずに楽しんで学んでください。自分の趣味や好きなドラマなどをきっかけに、そこから英語を学習すると無理なく楽しみながら学べます。なかなか結果が出ずにくじけそうになる時もあると思いますが、英語を必死に勉強して損することは一切ないです!むしろ、勉強すればするほど自分のプラスになり、世界がどんどん広がるので、諦めずに楽しみながらコツコツ頑張ってください。