グローバル人材がいかにして育つのか、世界で活躍中の元キャタル教師の3名にインタビューを実施し、どのような幼少期を過ごしたか、グローバルで活躍するために必要なことを聴きました。
3人目のグローバル人材は伏見崇宏さん。慶應法学部在学中にキャタルの教師として活躍し、現在はC4という、日本で社会責任投資の促進をする非営利組織(NPO)で働いています。
彼は、グローバル人材とは「既存の枠組みにとらわれない人である」と言います。
小学生の頃の海外生活の後、どのように英語を維持してきたのか、また、海外経験を通して英語以外に得たものは何かを伺いました。
海外経験が今の自分を形成した要素の一つに
――海外ではどのような生活をしていましたか?
シンガポールで生まれて、アメリカのアラバマに6年住み、中学からはずっと日本です。父の仕事は工場を立ち上げ、マネジメントし、黒字化することだったため、地域の人たちとの交流をとても大事にしていました。アラバマはもともと歴史的に人種差別があったりと混沌としていた地域だったのですが、僕は両親の恩恵を受け、すんなりと地域の人たちに受け入れてもらえました。
日本へ来てからは、そのような現地の人との交流を通して経験した、日本との圧倒的な文化の違いを活かしたいと思いました。そして、英語を使って異文化の架け橋の役割を担いたいと高校生の頃から思うようになっていました。
机上の勉強ではなく、実際に経験や現地の人との交流を大切にされていた伏見さんのご両親。
僕はアメリカでも日本語の勉強を続けていたのですが、1年ほど経った頃にやめることになりました。両親が「アメリカにいる間は、日本語を喋れなくなるリスクがあるかもしれない。それでも、現地の文化や人、言語をしっかりと理解して交流することの方が、崇宏にとって学びが多いだろう」と考えたからです。それによって、小学生だった僕の日本語レベルは幼稚園児レベルにすぐ戻ってしまったのですが、両親の計らいもあったから、僕は全身全霊アメリカ南部を吸収できたと思っています。
また、両親も色々な地域の文化を学び、友達との時間を極力たくさん作ってくれて、現地の学校で人種や年齢、性別など関係なく人と関わることを教えてくれました。スポーツや習い事も、沢山経験した子ども時代でした。
中学からはずっと日本。それでも英語は維持し、活用できるように。
帰国後、中学生の時に英検1級を取得した伏見さん。その後は日本で生活しながらも、キャタルで教師をし、現在も英語を活かしたビジネスをしています。
――帰国後どのように英語を維持しましたか。
自分が親からもらった中でも大きいものが、英語だなと思っていました。日本に帰ってきても、それをなくしたくないという思いが強くあったので、主に2つのことをしました。
まず、英語を勉強し直しました。
攻玉社の中学高校に行ったのですが、そこには国際学級があり、英語の先生に「帰国子女であれば読むスピードは速いかもしれないけど、読解力や文法力は舐めてかかってはいけない」と言われました。ちょっと悔しかったので、見返してやりたいという気持ちもあり、「1年かけてやりなさい」と言われた文法の参考書を2日間で終わらせて先生のところへ持って行ったことがあります。もう一回自分の中で英語を体系的に身につけよう、という意識を持って勉強し直しました。
もう一つは練習です。
英語は運動能力と同じで、しばらく話していないと忘れてしまいます。そのため、英語を使う機会を意識的に作りました。姉とは常に英語で話し、アメリカの友達と連絡を取り続けました。高校2年生の時はGYLC(Global Young Leaders Conference)という、ワシントンD.C.に世界中の高校生が集められる、模擬国連アメリカ版のようなものに参加しました。そこでは、異文化の人たちと英語でコミュニケーションを取らなければなりませんでした。
――積極的に自分をそういう環境に置いていたんですね。
そうですね。英語は話せても、話す内容に中身が伴っていなければ意味がないと思いますが、そのためのツールをまずはきちんと身につけよう、という意識がすごく強かったです。
「海外で育ったけど日本が好き」
帰国子女である伏見さんが「日本が大好きだ」と言うと、周囲から驚かれることが多いそうです。話を聞いていると、伏見さんの日本に対する想いが伝わってきました。
――日本が好きで、日本人だというアイデンティティーをしっかり持たれているのですね。
日本には海外に無いものが多くあるので、僕は日本はまだまだ可能性に溢れた国だと思っています。しかし、日本や日本の持っているものの魅力は、世界では十分に理解されていないように感じ、もったいないと思うことが多いです。例えば日本が持っている技術はもっと世界中で活用できると思いますし、日本人の魅力ももっと世界に対して発信したいという想いがあります。
ただ、それをする前に、まずは日本人が日本の良さに気づかなければいけないと思います。
例えば、学生のときに参加した日中韓のビジネスコンテストの「OVAL」では、日本人は喧嘩の仲裁に入ることが多いでした。日本人は、みんなにとって何が良いのかをすごく考えるからだと思います。今はグローバル化して、違う文化や今までにはなかった価値観が日本にも多く入ってくるようになっていますが、この日本独自の「和」のような文化や考え方は、ずっと生き続けてほしいと思っています。
海外での経験を活かし、日本で日本のために働く
グローバルな幼少期が今の仕事でも生かされている伏見さん。現在は一般社団法人C4で個人が社会課題解決に投資できるような仕組みづくりをされています。
――C4ではどのような仕事をしていますか。
一言でいうと、日本の社会課題解決にお金を流す仕事です。寄付という手法もありますが、今最も力を入れているのは、金融市場の中に社会課題の解決につながる仕組みを作っています。今ではサステイナビリティー意識が広まり、投資家には慈善活動をする人たちもいます。社会課題の解決に興味のある人が増えてきている背景はありますが、それに従事している人たちを応援する術がありません。そこで、社会課題に投資できる機会をもっと作っていき、新しい仕事の形を作ろうとしています。
そのため、今は弁護士事務所、シンクタンク、自治体、インキュベーションやコワーキングスペース、金融機関などと一緒に仕事をしています。みんな日本人だけど考え方や専門用語も全く違い、違う言語を話す方々です。つまり、ある意味では全く異なる文化を持っている方々を繋げて、一緒に仕事をしています。それが僕が高校生の頃に思い描いていた異文化の架け橋になることだと思います。そしてその人たちが、みんな一つの方向に向かっていけるのであれば、新しい仕事の形、そして新しい価値も生まれると思っています。
――C4の仕事もある意味で架け橋なんですね。
文化の架け橋って、日本、アメリカ、中国などといった国の文化間だけではなく、考え方や価値観の違いの架け橋のことでもあると思います。しかし僕がそのことに気づけたのは、海外に行って他の国の文化を体験したからでした。そして、これからさらに日本で人口減少が起きる中、日本国内の異文化の架け橋を行うことで対立軸にいる人たちを繋げることができ、新しい価値を作っていけるのだと僕は思います。そのため僕は、利益追求型の人と社会的意義を考える人たちが一緒に仕事できるような環境を作り、全然違う世界の人たちの架け橋になれる人間になりたいです。
キャタルの教師を通しても「架け橋」に
日本で英語を教えている英語塾キャタルでも、伏見さんは教師として活躍していました。そこには、言語や文化以外の学びもあると言います。
――キャタルにいる先生が教えられることは何でしょうか。
皆それぞれ違う異文化を経験している先生たちなので、生徒に英語を教えるだけではなく、彼らの経験したことや考えいていることを生徒に話すということに意味があると僕は思っています。
なぜなら、子どもは一歩先二歩先にいるお兄さんお姉さんを見て育ちます。今は近所づき合いが減ってそういう存在が少ない中、キャタルでは個人的なつながりを感じられる先生がたくさんいます。その人たちが英語を教える意味は、英語という言語を使いこなせる以上に、英語を話せるから、または海外に行っていたから持っている既存の枠組みにとらわれない考え方の方が魅力だと僕は思います。そういった人たちと関わったり話したりすることによって、既存の枠組みにとらわれない生き方を知ることができるのだと思います。
また、キャタルではエッセイライティングなどで自分の意見を書かせます。「あなたは何を考えているの?」と聞かれた時に、周りに左右されず、教えているお兄さんお姉さんも決めつけてくることがなく、自分の意思を聞いてくれる環境であることも大きいと思います。そういう意味では、英語を学ぶだけではなくて、自己分析や自己認識という部分もきっと高まっていくのだろうと思います。
既存の枠組みにとらわれない人こそがグローバル人材
自分から率先して英語力を維持・向上してきた伏見さん。英語が全てではなく、その先にある「学ぶ意味」が大切だと言います。
英語ってただのツールだと僕は思います。「英語が話せる人だから英語はただのツールだって言い切れるのでは」って思う方も多いでしょう。しかし、英語はコミュニケーションをとるため、また、夢を実現するためのあくまで手段なのです。英語が話せても自分の意見を持っていないために、その英語力を活かせていない人もたくさんいます。
この記事を読んでいる皆さんが、お子さんをキャタルに通わせるか通わせないのかは関係なく、
お子さんがどういう人間になりたいのか、何をしたいのか
そして、その子のしたいことに、英語はどのように繋がっているのか
また、その子をどういう人間として尊重してあげられるのか
が大事だと思います。キャタルの先生たちはそこができています。英語の授業だから敬語がないので、教師は生徒とフランクに一個人として対等に接しています。そういうこともあり、生徒は自分が何をしたいのかを自分で考えられる環境だと思います。
そして、そういう環境を家でも作れると、お子さんは自発的に英語を学ぶようになって、既存の枠組みにとらわれないで、自分のやりたいことを見つけられる、いわゆるグローバル人材になれるのだと思います。そのために、お子さんを一人の人間として尊重し、常に「なぜ」を問いかけてあげると同時に、「なぜ」の部分を掘り下げて教えてあげることが大事なのだと僕は思います。