教育経済学の目線から考える、これからの日本の教育(慶應義塾大学准教授 中室牧子先生) | バイリンガルへの道

教育経済学の目線から考える、これからの日本の教育(慶應義塾大学准教授 中室牧子先生)

教育経済学の目線から考える、これからの日本の教育(慶應義塾大学准教授 中室牧子先生)

中央が慶應義塾大学准教授 中室牧子先生

教育経済学者である中室牧子さんは、慶應義塾大学にて学んだ後、米コロンビア大学で修士号と博士号を取得されました。日本銀行と世界銀行で実務経験があり、日本銀行では調査統計局や金融市場局において、実体経済や国際金融の調査・分析に携わり、世界銀行では欧州・中央アジア局において、労働市場や教育についての経済分析を担当されました。
その後、東北大学を経て2013年4月より慶應義塾大学准教授として活躍されています。
そんな中室さんに、教育経済学の目線から考える、これからの日本の教育についてお話を聞いてみました。

「エヴィデンス・ベースド」という考えの教育経済学とは?

データを収集・研究することが、効率的に結果を出すことへ繋がる


教育経済学とは、一体どういうものなのでしょうか?また、どのような役割を果たすことができるのでしょうか?

教育経済学とは、データに基づき教育を経済学的な手法で分析する学問になります。
皆さんは、経済財政諮問会議の議事録を読んだことはありますか?この会議では財政政策や金融政策など、国のあらゆる政策に関わることが議論されています。当然、教育政策も非常に重要なテーマの1つです。
財政政策や金融政策について議論が行われる場合は、非常に専門的であり、様々なエヴィデンス(=証拠)が提示されたり、専門家の意見が求められたりします。国の政策を決める会議なので、専門的な知識を考慮した上で議論されることは当然であるように思われるかもしれません。しかし一方で、教育政策について話が及ぶと、途端にそれぞれの方が専門的な知識ではなく、ご自身の実体験に基づいた話や知人の話などといった身近な話題を語り始めるのです。「私の経験」というのは、経済学や統計学の目線から言うと1つの例に過ぎないので、それが他の家庭の子ども達に当てはまるかどうかは、全く分かりません。しかし教育政策においては、財政政策や金融政策とは異なり、まだまだエヴィデンスをベースとした議論が進んでいないのです。
これからの時代には、教育政策においても財政政策や金融政策と同じように、アカデミックな知識をベースとして考えられていく必要があります。教育経済学は、教育に関するあらゆるエヴィデンスを基に、これからの教育を考えていくことができる1つの方法なのです。

「エヴィデンス・ベースドで教育を考える」ということについて、身近な分かりやすい例などがあれば教えてください。

例えば、子どもに勉強をさせるために「ご褒美で釣って良いのか?」というテーマについて考えてみます。教育経済学の目線から、あらゆるデータを使って分析をすると、ご褒美で釣るという方法はそのやり方によって効果が異なります。
教育には、インプットとアウトプットがあります。アウトプットとは、テストの点数や出席率など、子どもの教育における「成果」のことを指し、インプットとは、勉強時間や宿題をやるといった行為、きちんと時間を守って出席するなどといった「成果」に影響を与えるものを指します。ご褒美で釣るという方法は、そのご褒美をアウトプットかインプットかどちらの方へ紐づけるかによって、得られる成果が異なるのです。
「次のテストで80点を取ったら2000円あげます」というようなアウトプットの部分に対するご褒美なのか、それとも「本を1冊読んだら、宿題をきちんとしたら、休まずに出席したら2000円」というようなインプットに対してご褒美を与えるのか、この2つの方法において過去に様々な研究が行われてきました。その結果に基づいていうと、アウトプットに対してご褒美を与えるという方法では決して良い成果を得られず、逆にインプットに対してご褒美を与える方法では、学力が向上する、学習意欲が高まるといった成果が見られました。

アウトプットに対するご褒美とインプットに対するご褒美では、インプットに対してご褒美を与える方が良い結果へ繋がりやすいということですが、どうしてなのでしょうか?

この結果が導き出されたメカニズムを考えてみると、要するに「80点を取ったら2000円あげます」という方法では、子どもはどうすれば80点を取ることができるのかということが分からないのです。逆に「本を読んだら、宿題をやったら、きちんと学校に出席したら」といったようなインプットに対してご褒美を与えるようにすると、それらをこなしていくことで自然と学力が上がっていくことが見込めるのではないかと考えられています。
個人の意見として、ご褒美で釣るという方法が良い、悪いということを考えるのではなく、大量のデータを観察し、そこから得られる規則性のようなものに基づいて結果を出すことが教育経済学のやり方なのです。

教育経済学の視点から考える学習効果の向上方法

学習プロセスを分析することで、より効果的に学力を向上する方法が見つかる


学校や民間企業など、実際の教育現場において、教育経済学はどのように活用することができるのでしょうか?

ICT教育という言葉を耳にする機会が増えたかと思いますが、これからの教育ではICTを用いて、子ども達の学力をどのように伸ばしていくことができるかという研究が必要になると思います。
ICTとはインフォメーション・コミュニケーション・テクノロジー(Information Communication Technology)の略であり、かつて私達がITと呼んでいた言葉にコミュニケーションを加えたものです。
ICT教育とは、インターネットやタブレットを使用し、コミュニケーションやテクノロジーの力を借りて学校の授業をより良いものにしていくというものです。
現在では「学習ログ」と呼ばれるシステムを使用し、生徒が実際に勉強をしている中で、どういうプロセスを辿っていったのかということを秒単位で追いかけることができます。今までは、生徒が勉強した「結果」のみを見ることしかできませんでしたが、学習のプロセスが辿れるようになると、生徒がどのようなやり方で勉強をしているか、どこに時間をかけているかなど詳しく把握することができるため、指導する側が生徒へより効果的なアプローチを行うことができるようになります。

学習プロセスを辿れるようになったことで、発見された事例があれば教えてください。

ある高校で出された冬休みの宿題に関して、宿題はeラーニングを使用し、先生は関与しない中で、生徒達がどのように宿題を進めていったのかを学習ログを使用して追いかけていきました。eラーニング(electronic learning)とは、コンピュータを利用した学習のことを言い、近年ではインターネットを通して学習を進める方法が、学校現場においても採用されるようになってきました。
この研究の中で分かったことの1つは、女子は締め切りの直前に宿題を終わらせるという駆け込みの傾向があり、一方で男子はコツコツと行う傾向があるということでした。これまでは結果のみを見ることしかできなかったので、やってきた宿題の量が多いほどコツコツと取り組んできたのだと先生が勘違いしてしまうことがありました。しかし、実際のプロセスを見ると、女子は最後の駆け込みの量が非常に多く、先送りの傾向が強いということが分かりました。この状況を正すために、男子ではなく女子に対して「コツコツやらなきゃダメだよ」と一声かけてあげるだけで、生徒達の行動は変わるのではないかと考えられています。
また、これまで男子と女子では、女子の方が理数系科目の成績が低い傾向にあるとされてきました。これには様々な原因があると言われているのですが、この研究によると、女子の理数系科目の成績が低い原因は、この先送り行動なのではないかと考えられています。というのも、この先送り傾向が極めて顕著に見られるのは、女子の理数系科目なのです。このことから、女子の理数系科目における能力は決して男子よりも低いというわけではなく、やり方が悪いだけということが言えるのです。

例えば英語学習において、読む、聞く、書く、話すという4技能のうち、どの分野から勉強を始めることがより効果的であるかということを、教育経済学の視点から考えるとどのように言えるのでしょうか?

こちらは日本の研究ではないのですが、過去に韓国で行われた実証研究では、読む・書くよりも、聞く・話すことを先に勉強する方が効果的であるという結果が出ています。
経済学の場合、一般に実験という方法を使います。この方法が実際に言語の研究としてそのまま適用できるかどうかは分かりませんが、例えば実験として、読む、話す、聞く、書く技能それぞれからスタートする人に分けて、どの技能からスタートした人達が英語の習熟が早いかということをチェックするといった形で結果を出します。

教育経済学の未来と、日本の教育の課題

エヴィデンス・ベースドで、より多くの人へ効果のある教育を目指す


これからの日本の教育目標が、クリエイティヴィティやコミュニケーション力などを養うといった、これまで考えられていた学力の向上とは違う方向へ向かっていく場合、教育経済学はどのような役割を果たすことができるのでしょうか?

エヴィデンスがベースというのは、数字ではかることができるということが基本です。これまで学力というのはテストの点数で表されていましたので、数字で表されるからこのような分析が可能なのだと思うかもしれません。しかし、最近の経済学では、心理学者と共同研究することも多く、学力というものがテストの点数のみではかられるのではなく、コミュニケーション力や意欲、リーダーシップ、クリエイティヴィティのような目に見えない力を数字で表すということが可能になってきています。
もちろん、全てが完璧に数字で表されるというわけではありませんが、様々な過程を経てこのようなことを実現させることができるようになってきたのです。なので、たとえ教育の目標がこれまでとは違う方向へ変わったとしても、エヴィデンスがベースであるという考え方は通用すると思います。

エヴィデンスを基にこれからの教育を考えていくことで、どのような未来を実現させることができるようになると考えますか?

子どもにとって効果があるものとないものを科学的に明らかにしていくことで、今まで天才一人の結果だと思われていた事例を、より広く、より多くの子ども達に適用できるようになっていきます。これが「これからの時代の教育」であると考えます。
教育というものは投資であり、お金と時間がかかります。貴重な1円や1分を、より効果的な方法へかけていくことは多くの保護者が望んでいることであり、それは子ども達自身が求めるそれぞれの結果に繋がっていくのです。

これからの日本の教育は、どのように変化していくべきなのでしょうか?

これからの日本の教育は、より確実な方法で成果を上げることが求められていくと思います。アメリカでは、2000年代前半頃から、教育に科学的根拠が必要であるという考えが政府はもちろん、一般においてもかなり浸透しています。例えばアメリカの大学では、どういう先生がどういう生徒の学力を上げることができているかということや、奨学金を与えられた学生達の学力についてなど、学校独自のデータを基にして様々な分析を行っています。限られた時間や資金を、より効果的な所に使いたいと考えられているため、データを集め、エヴィデンスを出し、効果があると分かったものへ集中的にお金と時間を投じていくのです。
日本の場合、このようなデータを出すことに対して非常に消極的であり、現在も識者の「こうあるべきだ」という議論に基づいて全体がリードされてしまっている傾向があります。一人の人間が落ちこぼれからトップの大学へ入学したといった成功ストーリーがあると、途端にその方が行ったことをただ真似るといったやり方を採用しがちですが、同じ例が他の全ての人に当てはまるわけでは決してないのです。
大量のデータを基に検証することで、より多くの人にとって効果的な教育を生み出すことを可能とし、それはより効率的に良い成果を生み出すことへ繋がります。教育経済学とは、まさにその一歩を手助けできるものなのです。