ボウディン大学(Bowdoin College)の概要
「すべての地と時をわが住処とし 自然になじみ芸術を友とし 世のすべての書を支えに ことに挑まれよ……」
これはボウディン大学のHPに掲げてある詩の冒頭部分だ。1972年に時の学長バリー・ミルズが一片の詩に託して残した、リべラル・アーツの名門ボウディン大学の精神を活写した言葉だ。
ボウディン大学は、アメリカ、メイン州のブランズウィック市にある私立のリベラル・アーツ・カレッジで1794年の創立、総合大学とは違う少人数で教育するリトルアイビー校の一つだ。学生9人に教員1人、クラスの70.8%は平均学生数20人を切る。最難関の大学の一つで、ランキングでは常にトップにいる。ただ、リベラル・アーツ校で大学院を持たないので、総合大学が含まれる世界的なランキングには入らない。2006年、ニューズウイーク誌はボウディン大学を称して”New Ivy”とし、アイビーリーグ以外のエリート校に加えて”Hidden Ivy”と呼んだ。
ボウディン大学(Bowdoin College)の基本情報
創立:1794年
校訓:Ut Aquila Versus Coelum (As an eagle towards the sky )空に向かう鷲のように
大学属性:私立
学生数:1,795
共学/別学:共学
男女比:50.3/49.7%
専攻:政治学、経済学、生物学など
ノーベル賞受賞者:
学期:セメスター
学費:$59,568
学生/教員比:9/1
必要なTOEFL点数:100点(iBT)/600点(PBT)
合格率:7,052中 15%
留学生の割合:4.9% (34ヶ国から)
ボウディン大学(Bowdoin College)の特徴
ボウディン大学はアメリカの夜明け以來、この国と世界の指導者を多く育ててきた。第14代大統領フランクリン・ピアス、南北戦争の著名な軍人オリバー・ハワードなど政治家、議員が多い。文筆の世界にも著名な人々を輩出している。アメリカの代表的な詩人ロングフェロウは1825年の卒業、同窓に「緋文字」のナサニエル・ホーソーンがいる。「キンゼイ報告」のアルフレッド・キンゼイも卒業生だ。下って1979年にはオリンピック初代の女子マラソン金メダリストで世界記録の所持者だったジョーン・ベノイトがボウディン大学を卒業している。
南北戦争とボウディン大学の関わり
さて、ボウディン大学を語る時、欠かせない逸話がある。南北戦争とボウディンの関わりは、「あの戦はブルンズウイックで始まりブルンズウイックで終わった」という言葉のきっかけになった。ブルンズウイックはボウディン大学のある町だ。“あの大戦争を起こした女性”、ハリエット・ビーチャム・ストウ夫人が名作「アンクル・トムズ・キャビン」を書き始めたのはご主人が教鞭を取っていたボウディン大学のアップルトン・ホールだったし、1865年にアポマトックス裁判所で北バージニア軍の降伏文書を受け取ったのは、時のボウディン大学の教授であり卒業生のジョシュア・チェンバレン准将(のち少將)だった。チェンバレンは後に叙勳されメイン州知事になった人物で、彼のゲティスバーグでの戦功は語り草になっている。
自然科学の分野で突出したボウディン大学
ボウディン大学は、1821年から1921年までメイン州の医学校(Medical School of Maine)だった。1921年に閉校した時点でボウディンはすでに自然科学の分野で突出していた。卒業生にオウガスタ・スチンチフィールド博士がいる。1968年にM.D.を取りロチェスターのメイヨクリニックの創立に関わった。二人のメイヨ兄弟の診療所に加わり、1915年には名高い非営利のメイヨクリニックに参加した。同じ頃に、前述のキンゼイ博士(1916年卒)もボウディン大学を世に知らしめる仕事をしている。
さて、ボウディン大学はその使命としてこのように宣言している:
「本学は常ならぬ才能を持つ学生に絶えず精神の練磨を期待し、創造的な能力を開発し、社会的な指導能力を育て、4年間の勉学を経てリベラル・アーツの学位に達せしめることを使命とする」。その実現のために、ボウディン大学では二つの信念を掲げる、とする。一つには、私(わたくし)ならぬ公(おおやけ)のための学問を深めること、二つには世界に生きる個人を完成することだ、とする。基礎教養の充実を狙うリベラル・アーツ大学の面目躍如である。
ボウディン大学の科学実験施設は充実しており、学生に多様性を求めることから、人種、経歴などが異なる学生が集まり、ほぼ100の学生グループが組織されている。もっとも大きいのがOuting Club というクラブで年に100回もの小旅行を企画する。1805年に組織されたPeucinian Societyはアメリカでも最古の文学の集まりで、前述のロングフェロウもメンバーだった。
国際化が進み、入学難関校に
ボウディン大学では近年になって国際化が進んでいる。かつては人種的にも社会経済的にも均一性が高かったが、このところ多様化への動きが学生の人種的構成に歴然と現れている。有色人種の割合が31%を越えている。ちなみに、少数民族の入学は1826年に遡り、この年、ボウディン初(全米では3人目)のアフリカ系アメリカ人が卒業している。
ところで、ボウディン大学への入学がますます難しくなっている状況を、エコノミスト誌(2008年4月17日)はこう伝えている:「いわゆる “ほとんどアイビー”といわれるボウディン大学やミドルベリ大学は、今年はそれぞれ18%という記録的に低い合格率だ。関係者の話ではいまやボウディンに入るのは70年台のプリンストンと変わらず難しくなっている」。
まとめ
ボウディン大学に限らず、アメリカのリベラル・アーツ・カレッジの魅力は少数精鋭主義にある。クラス平均の学生数の少なさ、教員と学生の比率の低さ、どれをとっても少数、徹底というキーワードが見えてくる。それに合格率の低さまでが加わって、リベラル・アーツ・カレッジの雄、ボウディン大学はますます難関校の誉れが高い。