誕生〜4歳 | 日本・奈良県 |
4歳〜18歳 | アメリカ・ニュージャージー州 |
18歳〜現在 | 東京大学へ進学 |
まずは海外歴をおしえてください。
奈良県で生まれて、4歳の時に、父の仕事の関係でアメリカのニュージャージー州に渡米しました。高校を卒業する18歳までずっとニュージャージー州で過ごしました。なので、大学に進学するまで、一度も日本の学校には通ったことがなかったんです。大学進学前のスコアは、TOEFL iBTが115点で、SATは2170点でした。いろいろ考えた末、大学は、日本の東京大学に進みました。
東大に入るくらいの学力なら、アイビーリーグなどの選択肢もあったと思いますが、なぜ日本の大学を選んだのですか?
もともとピアノ一本でやってきたので、アメリカの音大に入りたかったのですが、いろんな理由があって、それを諦めたんですね。ある時、「たぶん弾けない」って思った瞬間があったり、ピアノの先生との人間関係などもあり、くよくよ悩んでいた時期がありました。
最終的には、両親から「悩んでいてもしょうがないんだし、3日以内に決めなさい」っていうスパルタな感じで決断を求められて、日本の大学受験を選びました。この時に、音楽の道はスパッと切りましたね。
日本の大学受験は、受験の時期が早い、早稲田、慶應から受験して、私大が終わったら受験をやめようと思っていたのですが、周りで国立まで続ける、って人たちが多かったので、私もチャレンジしました。
受験のために日本に帰国して、一人暮らしをしながら、駿台の予備校に初めて通ったのですが、誰よりも多く小論文を書くぞっていうくらいの気概で、毎日書いていましたね。最初は日本語で文章を書いたこともなかったので、ボロボロだったんですが、徐々に上達していきました。
国立の試験は、第1段階がTOEFL、SATのスコアと書類審査でした。高校の先生に、急いでRecommendation Letterを書いてもらったりしながら、書類が通過後、筆記試験があって、筆記が日本語と英語の小論文でした。
TOEFL iBTの115点、SATの2170点はかなりの高得点ですが、どうやって勉強しましたか?
SATは、1年間くらい過去問を集中してやりました。最初の頃は2000に達しなかったのですが、自分なりに点数をあげられる部分に集中して勉強していきました。
TOEFLは練習問題を何回か解いたくらいで、特別な勉強はしなかったですね。ただ、自分の得意なところと苦手なところがはっきりわかっていたので、苦手な部分の問題を何度も勉強して、克服していきました。
私の場合は、Listeningはほぼ絶対にミスしないっていう自信があった反面で、Speakingは毎回ぼろぼろだったので、同じ問題を何回も何回もCDとかを使って練習して、一人でブツブツつぶやきながら、時間を計って練習していました。Writingはいかに早く、きれいな文章で、ある程度の分量のEssayが書けるかにフォーカスして、練習していました。
自分が得意な分野には自信を持って、苦手なところは、得意な人と勉強したり、教えてもらうのがよかったと思います。私の場合は、小論文は友達と見せあいながら勉強していました。あと、自分よりいい評価をもらった子の小論文はコピーさせてもらって、自分のものと並べてみて、こういう言葉を使うから評価が良かったのかなとか、自分より優れている人から学ぶ努力をしていました。
全部独学でTOEFLもSATも高得点を取っていますが、独学のコツはありますか?
本当に基本的な話になってしまうのですが、あまり無理をせず、1日の学習範囲を無理のない範囲に留めて、毎日やることですね。自分でスケジュールを作ってコツコツやっていきましたね。
今日は何ページから何ページを勉強するって決めて、常に4、5冊くらいを同時に進めていきました。最初は、本を買いすぎて勉強できるか不安だったのですが、父のアドバイスで、スケジュールシートを使った管理方法を教えてくれて、それに基づいて勉強していきました。ただ、絶対に何も勉強しない、机にも座らないっていう日も作っていました。
父が塾に通わせずに、独学での勉強を重視させたこともあり、自学自習の習慣を身につけることができたと思っています。
帰国生入試で東京大学を受ける時のポイントはありますか?
帰国生入試だと、筆記試験の後に面接があります。その面接の時に、自分の研究テーマについて語る場面があるのですが、ここで明確な目標やテーマを自分の言葉で語る必要があります。具体的にどの学科に入って、どういう授業を受けて、どうなりたいのか?という具体的なイメージを持って、それを伝えられないと突破できない感じがありましたね。
一般入試だと、単純に高得点を取る人が合格するのですが、帰国生だとそれだけだと通らなかったですね。帰国入試の場合は、試験の点数もさることながら、具体的なイメージと目標を持って、それを伝える力を磨く必要があります。
ご自身のアイデンティティはどう捉えていましたか?
アメリカにいた時も、家では徹底して日本語による会話だったので、アメリカにいながらも、家の中は普通の日本の家庭だったと思います。結局、日本の大学に行くと決めた時も、両親はちょっと反対したんですけど、日本に行くことを決めた理由の1つが、自分は日本人というアイデンティティがあったのだと思います。
アメリカにいた時は、どうやって日本語を勉強したんですか?
日本に一時帰国する度に、大量に本を買って帰ったり、祖父がビデオ録画して、日本から送ってくれてアニメやNHK番組を見ながら学びましたね。
それから、漢字検定はアメリカでも受験できるので、毎年1級ずつ受けていました。塾には全く通っていなかったので、家の中で日本語を身につけていきましたね。
アメリカでは、どんな学校に通っていましたか?
マグネットスクールと呼ばれている専門学校と公立の高校を合体させたような特殊な学校に通いました。ここは大学のように学部に分かれていて、経済系、サイエンス、エンジニアリング、芸術がありました。私はずっとピアノをやっていて、音大に進みたいと思っていたので芸術コースに入りました。
アメリカでの学校の授業もハードでしたか?
私が入っていたバーゲンアカデミー(Bergen Academy)は、生徒の多くがアイビーリーグに進むくらい、勉強に力を入れている学校でした。それこそSAT2100点っていうのは、間違っても言えない感じの雰囲気がありましたね。
ハーバード大学、プリンストン大学、スタンフォード大学、あとは理系人が多かったので、カリフォルニア工科大学やMIT、ジョンホプキンス大学への進学者が多かったです。そういった環境で学べたのは大きな財産です。