石村さんの海外歴と学校歴
5歳〜11歳 | アメリカ カリフォルニア州ロサンゼルス 現地校 |
12歳~15歳 | 日本 |
16歳〜19歳 | ベルギー International School of Brussels IB取得 |
19歳~ | 慶應義塾大学 経済学部 |
英語の所持資格
英検1級 ・ TOEIC 990点 ・ TOEFL iBT 118点 |
アメリカの「自己主張」と日本の「人の意見を聞く」両方を身につけられた
-5歳でアメリカに移住して直面した苦労は?
アメリカでは現地の幼稚園に入り、ABCもわからず、先生や友達が何を話しているのかわからないままの状態が1年続きました。まだ幼かったので、差別を感じたことはありませんでしたが、自分で伝えたいことが言えず、悔しくて、泣いて過ごしたこともあります。
-逆に日本に中学で戻ってきて苦労したことは?
アメリカは自己主張することが当たり前に求められる環境だったので、日本に帰ってきた時はカルチャーショックを感じました。空気を読みながら周りに合わせる、という雰囲気が、初めはとても窮屈に感じていました。しかし、時間が経つにつれて、人の意見に耳を傾ける日本人の良いところに気付き始め、日本のカルチャーも吸収できたように思います。
日本語も低下していて、漢字は全然書けなかったので、帰ってきて1年程はひたすら漢字ドリルをやったり、日本語の本を読み、学年相当レベルまでキャッチアップしようと必死でした。中学3年間は日本語の勉強に力を入れていたので、高校でベルギーに行った際、今度は、3年間のブランクで停滞していた英語力を年齢相当にまで引き上げるのが大変でした。この経験から、本当の意味でのバイリンガルになる事の難しさを痛感しましたね。
アジア人コンプレックスをバネに自分を成長させた
-ベルギーはどんな国?
ベルギーは様々な人種の人々からなる国で、生粋のベルギー人が少ないので、日本人の私でも、割と快く受け入れてもらえ、非常に暮らしやすい国でした。
公用語はフランス語、オランダ語、ドイツ語で、地域によって使われる言語が違っていました。私は主にフランス語を母語とする人が住んでいる地域にいた事と、国際バカロレア(IB)の教育でフランス語を選択し、フランス語の会話学校にも通っていたので、日常会話程度は話せるようになりました。
-ベルギーのインターナショナルスクールの思い出は?
ベルギーのインターナショナルスクールは、60カ国以上の様々な国籍の生徒が学んでおり、意見がぶつかることが多かったように感じます。「日本人=発言力が弱い」というレッテルを貼られ、私は幼少期をアメリカで過ごした分、自己主張はしていたものの、やはり周りに比べると、発言力は弱かったように思います。アジア人という事で、少しバカにされたような態度を取られたこともあり、悔しい思いを抱いた事もあります。
-ベルギー時代の一番のチャレンジは何?
テニス部のキャプテンをしていた時のことです。多国籍なメンバーで、意見もバラバラでチームとしてのまとまりがない中で、キャプテンに任命されたのですが、正直はじめは不安でした。
それぞれの国民性で練習に対する考え方や意気込みも違っていたので、チームをまとめるのは本当に難しかったです。そこで、ヨーロッパ大会で優勝するという「共通の目標」を立てました。チームの方向性を示し、積極的にコミュニケーションと図る事で、メンバーの練習への取り組み方に統一感が出てきました。結果、ヨーロッパ大会で見事優勝を勝ち取ることができ、キャプテンとして大きな達成経験を得ることができました。
ビリから3年間で、Best Student Awardを受賞
-インターナショナルスクールの勉強は難しかった?
英語クラスはレベル分けされており、ネイティブと同じクラスに入りましたが、中学3年間を日本で過ごしたため、英語のブランクがあり、周りに追いつくのが必死でした。
実際、クラスでもビリの方でした。日本の中学時代は、帰国子女ということで、英語の勉強には困っていなかったので、自分の英語力に自惚れていた事に気付きました。小学校時代をアメリカで過ごしていたことから英語の土台はあったので、全くついていけないということはありませんでしたが、周りと比べると年齢相当での英語力という意味ではまだまだでした。とにかくネイティブのレベルに自分を持っていこうと必死で勉強しましたね。
授業では、とにかくプレゼンテーションやグループディスカッション、エッセイなど、自分の考えをアウトプットさせられる課題が多かったです。この課題をこなす事で「英語で自分の意見を人に伝える」スキルを磨くことができました。
プレゼンテーションは、どうやったら自分の意見を伝えられるのか、話し方からパワーポイントのスライドの作り方まで工夫して、何度も練習しました。エッセイは、課題図書を読み、それを分析する、という内容のものだったので、本に線を引いて、ポストイットを貼り、とにかく読み込みました。エッセイライティングのおかげで、新しい語彙力と表現方法を「覚える」ことができたことはもちろん、それを自分自身で「使える」ようにもなりました。
結果的に、3年間で飛躍的に英語力が伸び、卒業式で英語クラスのBest Student Awardを受賞することができました。
プロの英語教師として、生徒と向き合っている
-日本に帰国後、英語力維持の方法は?
英語塾キャタルで教師として働くこと、TED talk動画を見ること、英語の映画を鑑賞する事で英語力維持に努めています。生徒に英語を教えることは、自分が正しく正確に英語を理解しているかが試されるため、自分自身の学習にもなりました。レッスンは、毎回どんな質問が飛んできても、的確に応えたいと、真剣勝負です。
TED talkは、世界で起きている時事がトピックになっているので、英語を学ぶと同時に、知識を増やす糧にもなっています。ネイティブスピーカーが使っている表現や単語を、動画を止めて調べることもあります。
英語ができるとエントリーできる企業も広がる
-バイリンガルでよかったと思えた瞬間とは?
英語ができると、出会える人の数が圧倒的に違ってくると思います。英語のおかげで出会いが広がり、チャンスも増えました。私は現在就職活動中ですが、企業にエントリーするのに、「TOEIC○○◯点以上必須」といった条件があったり、企業によっては英語の筆記試験や英語面接があったりします。もちろんチャンスをものにするかは、英語力以外のスキルも必要となりますが、英語が一つの武器になることは間違いありません。
-ご自身のアイデンティティは?
いわゆるアイデンティティクライシスに陥って悩んだ時期もありましたが、今は、日本人、アメリカ人、ベルギー人など、出会った国籍の人の価値観や考え方を吸収して、今の自分というものが形成されていると感じるので、「〜人」という型がないところが私の長所だと思います。また、この経験のおかげで、自分と異なる意見を受け入れる姿勢や、幅広い視野で物事を捉える柔軟性が身に付きました。
-将来の夢は?
国際社会において、日本の技術力や製品力はかなり高いことは明らかですが、日本人のプレゼンテーションの仕方が弱いがため、まだまだ世界に、その良さが伝わっていないように感じます。そこで、日本のモノやサービスを海外に発信して、日本のプレゼンスを高めることに貢献したいと強く感じています。
英語を学んでいる子どもたちにアドバイス
英語を話せると、見える世界が広がります。多くの人とチャンスに出会えます。英語が伸びなくて悩んでいたり、英語学習をやめたいと思う時もあると思いますが、苦労して英語を学ぶプロセスが、後に自分の武器になっていきます。英語は使った者勝ちです。失敗を恐れずに、とにかくたくさん英語を話し、たくさんを書き、自分の武器にしていってください。